錬成会お疲れ様でした。
父・桂雪も書についてあつく語ります。
今日の方は貴重な話も聞けたのでは。
みなさん、いい作品書かれてましたね。
まだ決定ではなく締め切りまで書かなければならない方も多いです。
最後に僕も言わせていただきましたけど、
作品はやはり計算しなければ書けないと思います。
行き当たりばったりじゃだめなんです。
感情だけでもだめなんです。
僕もね、よくいいますよ。気持ちを入れること。気持ちの高揚によって線が出なければいい作品は生まれません。
たしかにそうです。
でもそれだけじゃないんです。
気持ちさえ入ってれば、書けるのか。
そんなこたぁないです。
それで書けるのなら、誰でも気持ちさえあれば書けることになります。
そこには技術的な裏付けが必要なのです。
そのために日々筆使いや、線や、構成やもろもろ勉強していくんですから。
以前僕は新聞のコラムにも「捨てる」と題して書きました。
技術を超越した作品が書けることがいいのだと、そのためには技術を捨てるのだと、捨てるために、捨てるための技術を磨くのだと。
そう思っています。
なのでね、計算はするけど、その計算が見える作品はダメなんです。
格が落ちると思うんです。
計算を感じさせない、自然体。
そのためにはその計算よりも技術よりも感情や高揚感が勝った時だと思うんです。
そのときにはじめて技術的なことも忘れ、超え、心で書いた作品になるのだと思っています。・・・・・・
なんかグダグダと書いてしまいました。
いま僕がそう思ってるだけで、この考えはまた年を重ねていけば、経験を積んでいけば変わってくるかもしれません。
それを楽しみにまた精進しよう。
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