ハガキ 7月26日
独自
書において、いや芸術において独自性というのはとても大切なことです。
いままでも何度も書いてきました。
自分にしか書けないもの。
それはお手本が仮にあっても同じことが言えると思います。
ちょっと音楽に例えてみましょう。(って音楽のことは全然知りませんがあくまでも想像です)
たとえば楽譜。
これは書で言うお手本と同じようなものだと思ってください。
この楽譜をいかに理解するか。
これを見て演奏する、歌う、この時この理解度によって鑑賞する側は大きく違ってくると思うのです。
また演奏者、歌手は理解度プラス感情移入ですよね。
そんなこと考えるとお手本があって、それをいかに理解するか、自分のものにしていくか、感情移入していくことが出来るかが書の場合も大切なポイントになってくるんですよね。
クラシックは書でいえば古典だと思います。
演奏者によってこの独自性がでます。
書も古典を勉強する、いかに理解していくか、取り入れていくかだと思うんです。
曲を歌手に提供する。
これはやっぱりその人をイメージして作っていくものですよねぇ。
たとえばお手本だってその人をイメージして書いていく、その人の持ち味が生きるようなものを書く。
作曲・作詞などする人も、まぁクラシックでなくともあらゆる音楽を勉強するとおもうんですよ。
また好きなジャンルを徹底的にやっていく、そんなところからできてくるようになるんじゃないかなぁ。
だからお手本をもらいながらもそれを理解しながら自分のものにしていく、これが段々と独自性に繋がっていってそして自分で作曲(創作)が出来てくるようになるんだと思います。
ただ表面だけを見ているようじゃこれはできません。
楽譜を見て楽しく演奏できればいいやって人もいるでしょう。これもいいことです楽しいことです。
いつかは自分で作曲していきたいと思う人もいるでしょう。当然です。
そのときは表面だけ見ていちゃだめだと思うんです。
作曲して演奏して人を感動させたいと思い人もいるでしょう。
そうするとそこには相当な技術に加え感情もおおきく影響します。
書もそんなふうに考えると自分はどうありたいのかということで取り組み方が違ってくるんじゃないかなぁと思うんです。
みんながみんな作家になりたいと思っているわけじゃないと思うんです。逆にみんながみんな趣味で筆を持っているわけでもないと思うんです。
自分に合った取り組み方も考えることも大事かなと。
そしてやっぱり独自の
自分の花を咲かせたいですよね。
木村直子さん、コメントありがとうございます。そうなんですよ、どこに落ち着きましょ。もっともっとふらふらして見たい気持ちもあるのです。
コメント