ハガキ 10月18日
線
昨日は月例審査でした。
書の命は線だと思っています。
その線が生きていないと、いくらいい形を書いても、いくら構成を考えても、その作品に説得力がないとおもっています。
では生きた線。
どういうこと?
これがやっかいなのです。
答えはこれだって、明確に言葉として表現できない部分があります。
生きた線の中には
躍動的なもの、静かなもの、弾むもの、沈むもの、軽快なもの、弾力的なもの・・・・
さまざまあります。
これは技術的なものから生まれるものです。
ただその線を引くときに気力というか、そういうものが萎えた線は、どこか説得力がないものに感じると思います。
気力をこめ、どんな線状でも筆力・気力を感じるものを書きたいと思いますし、審査する時もそういうところを見ていきたいと思います。
子供のお習字の作品は
低学年はまず形を正確に書くことを要求されます。
高学年になるとはやく正確に書くことを要求されます。
ただ単純にスピードをはやくというよりは、書くときのリズムというかそういうことかな。
縦画、横画、左払い、右払い、はね、などそれぞれすべておなじスピードというわけにはいかないですよね。
それに見合った速度もありますから、そこでその動きが連続していくと、そこにリズムが生まれてくると思います。
そのほかに
わが会では『想像力と感性を育てる』ということで古代文字を素材として半紙に漢字一字を書く部門があります。
これはいわゆるお習字作品とは違って、いかにその文字を表現するか自由なのです。
ただこの自由が難しい。
なんでもかんでも適当に書くことが自由かというとそれも違うと思うのです。
ただ面白い形を表現をすればいいのか、斬新なことをすればいいのか、子供本人も迷うかもしれませんね。
ここでやはり線が重要なキーワードになるような気がするのです。
どういう線を引くのか、どう生きた線を引くのか、それがポンイトになってくると思うのです。
ただ面白い線を工夫して考えて、気力もなくデザイン的なものにはしった線はやはり、生きてこないと思うのです。
そう考えれば、ただデザインをしたような作品は魅力が出てこないと思うのです。
そこに充実した線が存在しているのかどうか、
当然大人が書くような線のようにはいきません。高度な技術的なものも要求するのも難しいと思います。
でもやはり線に目を向けなければと思っています。
そう考えれば、一般にしても学生にしても審査もよくそのあたりを見ないといけないと思っています。
自分の理解を超えた作品を見たときにどう評価するか
わからないから、「まぁこれはいいものだろう」とか「わからないから斬新だ」とすぐに決めつけてしまうのも怖い気がするのです。
そういうときにはやはり線に立ち返るべきだと思うのです。
そしてその理解を超えるものがあれば、さらに自分がまた勉強するしかないと思っています。
長々と書きましたが僕もまだまだ未熟者です。
これからももっと技術的にも磨いて、そして人間的にももっと精進して
線を鍛錬していきたいと思っています。さらにいい審査が出来るためにも。
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